3.11 東北関東大震災

3月11日巨大地震が発生した
各地でたくさんの被災者が生まれ、まだ全貌すらわからない
テレビでは避難所での灯油や毛布、食糧がなく寒さに苦痛を訴える人たちの様子を伝えている
防災士の資格をとったのは数年前、でもその後各地で発生する地震や災害でも何もできなかった、
M9.0という大地震が起こっているのに、自分のことしかできない自分にいらだちを覚えていた。
星空の撮影でわずか2~3時間足らずで到達できていた地域で被災者がでている。

 自宅や実家から灯油や毛布、おにぎりや乾電池、ラジオなどできる限りのものを積んで岩手県の県北方面へ向かった。
 福島や宮城はもしかしたら関東方面から救援が入りやすいかもしれない、だとすれば岩手県には隣県の青森や秋田からが好都合なはずだ。

 青森や弘前は翌日には電気が回復し、ガソリンや灯油は入手しづらいが、まだ自分の身の回りはなんとかできる程度に回復した。防災士は「自助、共助、公助」自分の身の回りが一段落ついたのちは、周辺の人たちの助けに回ることを心情としなければと教わった。

 八戸自動車道は南郷インター以南が通行止め、ガソリンは全く手に入らないため、行くことができるのは燃料ゲージが半分になるところまでに限られる(そうしないと帰れない)。
 国道395号洋野町大野地区の手前で岩手県警のゲートが、災害通行止めだ。
 救援物資であることなどを説明したところ、防災士であることから通過を許された。

 久慈市の先にある野田村、高台にある小学校にたどりつき物資を提供、避難所には高齢者を中心に40名程度に方がいらした。
 灯油、毛布、食糧に電池やラジオ、灯油は無くはないが不足していたようで、毛布は不足していたようだった
途中三沢市の品薄なスーパーで買いこんだハンバーガーは、中学生らしい女の子が食べてくれた。

 教頭先生によると津波で流された児童はいないようだが、避難場所に分かれて安否が確認できない家族がまだいるとのこと、自動玄関前の黒板には安否確認ができない名前がまだ十数名書かれている。
 家が流され、着の身着のままだどりついた家族も多いとのことだった。

 手回し発電機で携帯を充電していた中学生の男の子に声をかけ、発電を手伝うふうにしておしゃべり、すこし気がまぎれてくれたらうれしい。

 「カンパンは意外とおいしいんだよ」と中学生くらいの女の子は笑顔で答えてくれた。

 被災地に西日が差し込む時間帯、ほんの1時間程度の滞在で帰路に就いた、
 わずか3時間程度で電気や暖房も普段通りになりはじめた青森につくことができた。

 みんながボランティアと称し物資を送ったらたぶん現場はそれなりに困るのかもしれない。
 被災3日目の混乱状態だったから行き来できたのかもしれない。
 でも、何か役立つことをできたという実感と、現地の方たちをほんの少し励ますことができたのは事実だったのではと思う。

 まずは自分の身を守る「自助」、これかないと次の何もない。でもある程度の自助がすんだら次は「共助」を。

 食糧や灯油などほかの人が手に入りづらいものを入手するができたのなら、おそらく入手できなかった人が周りにいる。

 そんなことを感じながら、ガソリンスタンドに並ぶ長蛇の列を思い出していた。

スポンサーサイト
プロフィール

aomorigonta

Author:aomorigonta
星空や雲、海岸や山並みなどの風景を素敵な音楽にのせて紹介しています。

最新記事
カレンダー
02 | 2011/03 | 04
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新コメント
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

月別アーカイブ
カウンター
現在の閲覧者数:
アクセスカウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-