漆黒の陸前高田
震災の2日後、なにかしなければと物資をかき集めて向った岩手県野田村、あのときは被災地のほんの一部を垣間見たにすぎませんでした。
その後は、被災地に直接足を踏み入れることなく、募金活動に参加したりなどしていました。
あれからしばらくの時間が過ぎて、まるで以前と同じ様に戻ったかのように生活ができています。
もちろん、ニュースでは毎日のように原発のこと、電力のことなどが話題になってはいますが、
それほど遠くない場所で、あの時と同じような大変な生活を強いられている人がいるということが、
自分の中でも薄れ掛けているような気がしていました。
その気持ちを吹っ切るかのように、7月のはじめに高速道路を南下し岩手の県南に向っていました。
北上JCTから釜石自動車道へ、釜石自動車道という名前ではあるけれど、実際はほとんど建設予定道路で
数キロ先からは一般道を走ることとなります。
高速から降りた瞬間、ある種の看板が目に飛び込んできました。

看板を見た瞬間、なぜか涙がこみ上げてきました。
釜石方面に向うにつれて、東和、みやもり、遠野、街のあちらこちらにこのような感謝の看板が数多く掲げられています。
自分たちが被災しているのに、救援に来てくれた人たちに心を配ることができる。
人間はすごい生き物なのかもしれない・・
そう感じずにはいられませんでした。
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その後は、被災地に直接足を踏み入れることなく、募金活動に参加したりなどしていました。
あれからしばらくの時間が過ぎて、まるで以前と同じ様に戻ったかのように生活ができています。
もちろん、ニュースでは毎日のように原発のこと、電力のことなどが話題になってはいますが、
それほど遠くない場所で、あの時と同じような大変な生活を強いられている人がいるということが、
自分の中でも薄れ掛けているような気がしていました。
その気持ちを吹っ切るかのように、7月のはじめに高速道路を南下し岩手の県南に向っていました。
北上JCTから釜石自動車道へ、釜石自動車道という名前ではあるけれど、実際はほとんど建設予定道路で
数キロ先からは一般道を走ることとなります。
高速から降りた瞬間、ある種の看板が目に飛び込んできました。

看板を見た瞬間、なぜか涙がこみ上げてきました。
釜石方面に向うにつれて、東和、みやもり、遠野、街のあちらこちらにこのような感謝の看板が数多く掲げられています。
自分たちが被災しているのに、救援に来てくれた人たちに心を配ることができる。
人間はすごい生き物なのかもしれない・・
そう感じずにはいられませんでした。
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